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「僕の中の男の娘」見たよ。

DVDですけど「僕の中の男の娘」見ましたよ。

青春ドラマとして楽しく見れます。
彼女さんとかと見ても楽しめるかな。
彼女や友人と踏み絵的に見られるかもね。
「どう思う?」とか。
娯楽映画的にはよくできていると思います。

「女装」のキーワードの部分を除くと割と凡庸だとは思うけど、
リアルに共感する部分もちょっとあり、
でも、うーん違うようなあ、ちょっとご都合?という所もあり。

展開の前半でかなりネットで話が展開するんだけど、現実はそうかもしれないけどドラマとしてはちょっと物足りない。逆に現実的な部分ではお姉さんがとても美人でとことん理解があって、とか知り合った女装さんたちがとても立派な方だったり、ちょっとでき過ぎかな。
まあファンタジーなんだからいいけど。

気になったのは
「女装」がしたいだけで「おかま」じゃないというトーンが全体に覆っていたこと。
「女装」はノーマルで「おかま」(ここでのおかまとは女装した同性愛者のことか)といわれるのは許せない!
というのはこれ自体差別的でちょっと無視できないなという感じはありました。
まあ、世間的感覚としてはそうなんだろうし、
女装を楽しんでいる人にはそう思っている人も多いだろうけど、
私は紙一重だと思いますよ。


最後の親父さんの「胸を張って生きろ」はちょっと響きます。

主役の女装姿は男っぽさが残っているけどかわいくて好感持てます。いいさじ加減。
脇役にもう少し美形の人がいても良かったと思うな。

ラストシーンの自転車で出かける完女姿がけっこうかわいい。
予告編でも最後にちょっと出て来ます。


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脇毛

忙しくて更新滞ってます。ごめんなさい。


ちょっと変化。


前に脇毛剃って減らしたって書きました。
結局、思い切って全部剃りました。

凹んだ所があって、けっこう難しいのよね。
女性の皆さんどうしてるのかな?
女性用の小さいカミソリがいいのかもしれないけど。

腕を上に上げてくぼみをできるだけ伸ばして剃ると割とうまくいきますが
私の場合、くぼみの胸側の面の奥が難しい。

剃ってみたら、なんかすっきりして、とてもいい。
見栄えも気分もいい。
他人の目は意外と気にならないです。
袖のついた服を着ていればまずわからないし、
腕出してもデスクワークとかなら普通は腕を思いっきり上げることは少ないですよね。
タンクトップとか着なければ問題ないと思います。
家でも腕を思いっきり上げるって少ないです。一番危ないのは着替えるときかな。

でも剃ってても、なんとか言い訳できるんじゃないかなあ。
毛深いのいやんなったとか、あせもができやすいとか。
だめ?
脇毛そってるならきっと腕なんかも剃ってるだろうから
たぶん周りが納得するんじゃないかなあ。

というわけで自分がやったら、いきなりお薦めモード。





その画像を載せられたらいいんだけど、まだないので後ほど。
え、待ってない?
ま、そういわないで。




なにごともチャレンジ精神!  ちょっと忙しくしてる....




ゆっくりブログも書きたいし新しい写真も載せたいのに時間が取れないのです。
ごめんなさい。

大げさですけど、女装は自分にとってはチャレンジだったんです。
無理って思うことにチャレンジする!
最初はやっぱりだめだめで、気色悪い男でしかなくて。
何度もため息ついたり、ナーニ馬鹿なことしてんだろうばかばかって、思ったり。
絶対無理無理って思ったり。

やらないよりやってみて後悔した方がいいって、ヨクいいますよね。
割と、そうはいってもなーと思って、やるまえに諦めて来ました。
ついつい冷静な自分がいたり、世間の目を気にしたり。

でもね、犯罪とか誰かを傷つけるとか迷惑をかけることじゃない限りは、
やっぱりやってみた方がいいと思うの。
それがわたしの今の本音。
やってみたらいろいろわかる。
よかったことも、無意味だったことも。
わかったら結論が出る。

女装てよく小さなことの積み重ねっていいいます。
ホルモンとか飛び道具もあるけど、私もそう思います。
だからこれね、いろんなことに通じると思う。
そう言う意味でも、無理無理と思っていた所に近づけた達成感はあります。

ただ自分を粗末にしたり投げやりにしたりはヨクないかも。
あくまでよりよくなりたい自分に向って、ね。

汚装のくせに偉そうなこと言うな!って言われるかな?
すみません。

草の花 福永武彦 ー同性愛の青春純文学



昔、純喫茶というのがありました。喫茶店も死語になりつつありますが、純喫茶は完全に死語ですね。純喫茶はコーヒーなどを飲むお店で、女性や未成年など若い方でも入ってコーヒーが飲める純粋な喫茶店ということです。いまでも田舎や古い商店街に時々見かけます。??意味不明という気もしますが「純」とあえていうからにはお酒を出したりお客の相手をする女性がいたり、違う目的の人が集う不純な喫茶店があったのでしょう。

純粋という言葉も死語ですね。
純文学、純粋芸術、純粋音楽…どこか高尚で難しそうなこれらの言葉は20世紀近代の特徴を表す言葉です。なのでちょっと懐かしい。
でも何かを純粋に突き詰めるということはなくなったわけではないですよね。
純文学という言葉には娯楽ではなく、人間の精神の純粋な本質を追求する小説というニュアンスが感じられます。

自分が、同性愛かも、とか本当は女かもと疑う時、それまで当たり前と思っていた世界がぐらりと揺れて、異性愛や性について何が正しくて何がアブノーマルなのか考えてしまいますね。自分が何者なのかと考えてしまいます。
そんなこと考えずに本能のままにという方ももちろん多いでしょうけど、私がそんなことを始めて思った頃は、同性愛も性転換もかなりアブノーマルな世界で、それについて真面目に取り組んでいるものを見つけるのが難しかったのです。
また同性愛といえば薔薇族という雑誌で見るような今でいうゲイ的でかなり性的なものか少女漫画のボーイズラブのような現実離れした美しい世界で、自分の体験と違うという違和感がありました。

そんな頃出会ったのが「草の花」という福永武彦の小説
ある青年の二つの失恋というか恋愛の挫折を描いていてそのうちの一つが同性との淡い恋です。同性愛の猥雑感が全くなくて逆にそれが違和感があるかもしれませんが、初恋のように始めて人を好きになった時の純粋な高揚と苦悩がよく描かれていると思います。繰り返し読んだ数少ない小説で、純文学というものが実在していた頃の胸キュんの美しい小説です。

同性の相手はノンケの青年なので女装や性転換などはありません。性的な描写もほとんどありません。だから現代の感覚ではちょっと物足りないかも。どちらも真面目に愛していながら結ばれることのできないもどかしさや哀しさに共感して泣いてしまったのを覚えてます。私にも純情な頃があったんです…。

性転換者や女装の小説ってあるんでしょうけど、ノンケの売りセンを描いた比留間久夫さんとか以外、知らないです。大江健三郎の小説にニューハーフが主人公で出て来るのがありますが、まあ大江さんとニューハーフは全く合わなくて、必然性も薄く違和感だけが残りました。あと巨匠三島由紀夫、こちらはゲイ的な世界かな。団鬼六さんのこれは同性愛というよりも男妾のような、いまなら女装子さんに近い存在の登場人物が出て来ます。まあ、この方ですから結構色恋な話です。

女装者や性転換者を真面目に描いたいい小説があったら教えて欲しいです。
ネットの時代になってこういう世間に出にくい内容のリアルな体験が流通しているから、小説として成立しにくいんでしょうね。でも体験談と小説はやはり違うでしょ?


そういえば不純ということばも死語化してますね。純粋という感覚が薄れているんでしょうね。
純粋というのは言葉では魅力的ですが、人間そうそう純粋にはなれないし、純粋という言葉には要注意!かも。

アクセス戻って来ました。

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解析用のタグが無くなっていたようです。
昨日あたりからアクセス増えて来ました。
ありがとうございます。
よかった。

再度設定し直しました。結構こういうのめんどうなものですね。
私は比較的機械やPCなどに抵抗がない方ですが、ブログですらこんなに面倒だとほんといやになります。

コメントとか反応あるといいなあって思いますけど
私のは、文章から怖そうとか気難しそうとか見えるのでしょうか?
ま、古い話ばっかりだったり、こんな亡霊みたいな写真のせてちゃあね、だめか。
怖そうに見えますが、そんなことないですよお。(笑)


テーマ : 女装 - ジャンル : サブカル

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