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女性志願の男と恋人の映画「私はロランス」

まだ見てないけど見に行きたいな。
本当は女になりたかったと告白する男とその恋人との物語。

女装映画というよりは恋愛映画のようだけど
人ごとじゃないからやっぱり気になる内容…

見に行きたいですね。

行けるなら恋人とか女装のお友達とかと行ければいいんだけど…
切なくて涙腺ぼろぼろかもね

フランス映画らしい叙情味たっぷりの美しい映像


http://www.uplink.co.jp/laurence/




映画とかDVDてまとまった時間が欲しいから、なんとなくあと回しになっちゃう。
「僕の中の男の娘」もまだ見てないのね。

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リアリな絵画の両性具有

suwa.jpg

だいぶ間があいてすみません。
忙しくなると更新する気力が落ちちゃって。
まだ忙しいけど、少し余裕が出て来ました。



美術書のコーナーでふと見た画集で見つけた両性具有。
すわあつしさん(ほんとは漢字)という画家の素描です。画集の方にはカラーの作品が掲載されています。ネット上にはなかった。

一見、美女のヌードですが、股間には天を仰ぐ男性器、そして乳房はない。
ニューハーフ的ですがニューハーフさんは胸のある方が多いので、女装さんに近いかな。
でも女装で身体も顔もこれだけ女性っぽくて、でも胸がなくて、こんなに大きな男性器というと実在にはなかなか難しいでしょうね。

この方はリアルな絵を得意としていて女性ヌードも描きますが、ちょっとスキャンダラスな面もあって、そういう1枚としてこの絵はあるのかなって思います。

この絵のような完全な女性美と男性の両立って私はいいなあ、きれいだなあって思うので、この画家もそういう理想美のような気持ちがあるんでしょうね。あとそういう対象への欲望が眠っているのかも。オカマは嫌いと思っていても、この絵のような方だったらどうでしょうね?
そういう眠っている欲望はあると思います。(それについてはまた書きたいと思いますが)

世紀末の両性具有美

今、携帯もPCも持っていない人は、殆どいないだろうけど、気持ちとしてそんなもの否定して、もっと昔ながらの人間らしい生き方をするんだ!って思っている人は結構いるよね、きっと。
風の匂いや草木のささやきや星の輝きから命の神秘を読みたいのって。

前世紀末は、ちょうど産業革命が起こって、街の中に車が走り、鉄やガラスの建築が立ちはじめた頃。そんな近代化に背を向けた芸術家達がいました。象徴派と呼ばれる人たち。彼らは神秘的なイメージを愛し幻想的な文学を好み、そうした理想世界を描き出そうとしました。

その中でも、その志向が色濃くでているのがベルギーのジャンデルヴィル Jean Delvilleと言う画家。
オルフェウスの美しい絵で知りました。何年か前に日本にもこの絵来ましたよ。

Delville---Orphee.gif


ロマンチックで荘厳でとても好きな画家です。
彼らは女神や妖精など美しい女性に様々な意味を持たせ描きました。


The Love of Souls - Jean Delville


もともと神話の世界の神々は性別不明ですからそうした性別不明の美しい人が時々登場します。
School of plato

上の絵はSchool of plato 若き哲学者?達の学校のようです。
しかしその生徒さん達、青年たちですがあまりに官能的な肢体を見せびらかしていて艶かしいですね。
こんな様子で勉強できるんでしょうか?どきどきしちゃいそうです。
左のシナを作っている人とか男性?胸があったら女性じゃないのというような色気ムンムンの世界。
なんなんでしょう。

jean-delville1.jpg

デルヴィルの世界、なんとなく私たちが一般的に崇高で芸術的って思うようなイメージを具体化しているような作品ですね。
そういう意味ではちょっと古さもあって、車が走ってる時代とは思えないです。
進歩的というよりは神秘的、懐古的な方を選んだ人たち。
ま、趣味だけでいえば嫌いではない。
日本だって今でも花鳥風月や古き良き世界を描く人はいるので、まあ不思議ではないですけど。
古いものは気持ちいいんですけど、予定調和過ぎて退屈な所もあります。そこがむずがゆい所。

テーマ : 女性化・男性化・中性化 - ジャンル : 心と身体

聖なる美と醜なる美の同盟関係 Joel Peter Witkinの写真

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目が釘付け、ということが時々ありますね。一方で目を背けたいのに覗きみたいという衝動もあったりします。頭を殴られたような感覚というのもあります。Witkinの写真集を見た時そんな感覚が一緒くたに襲って来ました。忘れたいのに脳裏に焼き付いて離れない、そんな感じです。

Witkinの作品にはトランスジェンダーな人たちが(この言葉適切でないと思いますが便宜上使います)がよく現われます。またフリークス、屍体などが多用され、古い写真や映画のような演出が加えられます。
どこまでフィクションでどこまでノンフィクションなのか曖昧にされています。
かつてあった見世物小屋の世界と言ってもいいし、そういう見え方を意識しているようにも思えます。

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見世物小屋を見てみたいという欲望の奥底にはいろいろな感情が交じっていますよね。
人の心というのは恐ろしいもので、教育や状況によってはどこまでも残酷にも怠惰にもなれるし、その逆に崇高にも善良にもなれます。
その事をみなどこかで知っています。でも社会はタブーとしてそれを隠し、そんなことは見ないで生きて行きたいという欲望もあるし、あえてそれを見て知った上で生きたいという欲望もあります。
この葛藤がWitkinの作品に接した後の動揺に繋がるのだと思いますね。

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Witkinの作品には戦争カメラマンであった事、家庭の境遇、幼い頃に遭遇した事故現場などが影響しているそうです。彼は見てしまったのでしょうね、そうした闇の世界を。アーティストの中にはそういう人がいます。こういうタイプの作品は熱狂的に支持する人も入れば嫌悪する人も多い、Witkinはそんな異端の写真家なのね。

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ここにはグロテスクなものは載せてません。倒錯ではあっても聖なる美しさが感じられるものを載せています。
でもそれだけでは片手落ちなのかもしれないですね。ご興味ある方はググって見て下さい。
性の境界線上にいる人は、両者の醜い所を持ち合わせる事もできるし両者の美しい所を持ち合わせる事もでき、その上でそれに磨きをかけるよう努力するので、類い稀な美しさを持つ事があるのではないでしょうか?
冒頭の写真、聖母のようにとても美しいと思います。まだそれほど女装やNHが巷に溢れていなかった頃、強烈に脳裏に焼き付いて離れなかった作品です。

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テーマ : 写真 - ジャンル : 学問・文化・芸術

TAG : Witkin art androgenous sayano

女の顔を持つ男と呼ばれたアーティスト

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男?女?

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この方は馬六明という中国の芸術家。
中国は改革開放路線以降芸術表現の制限も緩和されて前衛的な表現が開花しました。その前衛路線の先頭集団の一人。

たまたま美貌の持ち主だったこの方、ギルバート&ジョージというイギリスの有名な芸術家の前で女装(パフォーマンス)したら、それが受けて、それ以来女装を用いたパフォーマンスで世界的に有名になります。

女装がなんで芸術?という疑問があるかと思います。
現代アートでは性は重要なテーマ。それもよくあるエロス礼賛ではなくて、性による抑圧や性差による文化の差異などを暴こうというあたりがテーマです。中国は特にそういう意味ではポルノ表現などが厳しく制限されていたのでそういう表現そのものがかなり過激であったという背景もあるでしょうね。

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馬六明は女装というよりも性の揺らぎのような所を突いて来ます。女性のような顔をしてますが体は男のまま。
それで艶っぽくシャワーを浴びたり、淑女のように腰掛けたりで、男?女?という戸惑いを見ている人に投げかけます。
日本でも裸になるパフォーマンスをやってちょっと話題になったとか。

でも馬さんの作品の魅力は、やはり美貌。
これがただのブサイクさんだと興ざめ。やはりうわきれいな人、あれでも男?
という所が魅力と思います。

体はスレンダーな男のままだったりするので、女性そのものには見えませんが私にはドキドキする所があります。

もう結構いい歳で最近はあまりこの傾向の作品を発表していないような気がして残念。

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