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服装について改めて考えてみる(2)ドレスコードと女装の過激さ





真面目に考えてることを続けますけど、女装趣味の方の気持ちを逆なでするかもしれません。ごめんなさいね。
悪意ではなく私のオタク気質からです。女装の核心はなにかというのは理解できてもいいように思いますが、そんなこと興味ない方にはつまんない話ですのでスルーして下さい。


最近は新宿あたりでよく女装らしき人を見かけます。女性と見分けがつかず、気づいていない女装子も多分たくさんいるんでしょうけどね。若い女装子さんで男の子かなと感じつつ、可愛らしかったりすると微笑ましくもあります。
非常に目立つ格好や明らかに男とわかる格好で立っていたり闊歩している女装子さんも見ます。
その時の正直な心の反応は「なんかやだな」というものです。
私も女装するし、そうしたい人の気持ちもわかるし、外出したい人の気持ちもわかります。でもこの反応もまた正直なものなのです。

美醜だけでは説明できない所があります。だって、美しいとは言えないおじさんやおばさん、ブサメンさんだってたくさん歩いてます。でも別にその人に対して「やだな」とは思いません。
奇抜な格好、目立つ格好の人、たとえばヘヴィメタやパンクの格好した方とか、かつての暴走族の流れのヤンキーな格好した人とか、民族衣装を着た方も目立ちますね。その人たちはも目立つのでちょっとぎょっとしたりしますが、そういう人に対しての反応とも少し違うのです。それはなんだろうと考え続けてました。
前のドレスコードの話から、この女装について少し解き明かすことができて来たので書こうと思います。

ドレスコードというのは結構敏感で皆無意識のうちに察知しています。体格やドレスコードによってその方の性別、年代、国籍、職種などをスキャンしているように思います。普段はそれで何もセンサーにかからなければ素通りしてすぐに忘れてしまうでしょう。
そのセンサーにひっかかるとドレスコードが適用されてどういう人か判断しようと意識が働きます。他人を認識する際に性別はかなり基本事項なのではないかと思います。性別、年代、人種あたりは瞬時に計ろうとします。ここで性別がわからないと判断が進みにくい心境に陥ります。性別がわからないというのは他人の認識を不安にさせるのではないかと思います。

それはなぜでしょう。
社会秩序として、行動原理として性別の違いが大きいからではないでしょうか。その人が男性か女性かによって話しかけ方、振る舞い方が大きく変わります。なにか関わるような相手であれば心の持ちようも変わるでしょう。性別が不明の相手というのは実際に困ることもあるのです。

奇抜な格好、奇抜な格好というのはこうした社会秩序としてのドレスコードに異議を唱えているメッセージ性があります。ヘヴィメタやパンクな格好というのは元々はそうした反体制的な抵抗から生まれて来た過激さです。日本だとそれは借り物ですが、それでも安穏とした社会を保とうとする抑圧に対する抵抗の現われではないでしょうか。

そういう意味では女装というのはドレスコードへの抵抗という過激さを含み持っていて社会秩序への抵抗や挑戦の面があります。実際女性しか入っていけないような所に入って行こうとする欲求もあるわけですし、トイレや浴場であればそれは軽犯罪になります。先に書いた対人上の秩序を混乱させるという面ですね。
性別を超える服装というのは公共空間では過激でもある、というのは一つ重要なこと。


過激なはずのヘヴィメタやパンクの方々の格好もヤンキーの方の格好もしかるべき場所と時間だと全く違和感は無くなります。コンサート会場やスタジオとかね。ドレスコードはTPOとも密接です。
また例えば音楽関係の格好などというようにそれ自体がドレスコード化して認識されると、風物として日常化され過激さが摩耗してしまうという現象も起こります。へヴィメタやパンクのような格好もちょくちょく見かけて音楽関係だと認識されれば気にも留めなくなってしまう。秋葉でのメイドファッションの子なんかはそうなりつつありますね。
ドレスコードに挑戦する過激ファッションもまたドレスコード化するという発見があります。都会の繁華街での奇抜な格好というのは時間と共に、概ねドレスコードの範疇に収まっていくのではないかと思います。

さて女装はどうでしょう。
パンクやヘヴィメタなどのような奇抜ファッションは既存のドレスコードとの違いを際立たせる所に意味があります。
女装は性別のドレスコードに抵抗する過激さを持ちながら既存の女性のドレスコードに近づいて埋没しようとする目的があります。違いを目立たせるのでなく、既にあるファッションに近づこうとしています。そういう意味では過激さを持ちながら過激に向っていないわけです。この二律背反、これも重要です。ここが奇抜ファッションと違うところです。
女性と見分けがつかなければそれはまったく過激さを見せることはない。しかし、できるだけ埋没しようとして、埋没しきれずにはみ出てしまった場合、その部分は突如、過激なものとして現れるわけですね。

女性と見紛う美しい女装子さんと男とわかってしまうような女装子さんとの世間の反応の極端な差はここに原因があるのです。

更にですが、女装の場合、女性のTPOに応じた細やかなドレスコードの変化に鈍感であると思います。男性らしさを消したり、女性らしさを強調するために過剰に女性っぽくなるとか、女性らしさが際立つミニスカートやドレス、肌の露出への欲望、セクシャルなアピールへの欲望などが出やすくなる、また経験の不足からくる年代や流行への無頓着などTPOとドレスコードのズレが生じやすいのではと思います。つまり一般的な女性と比べると「なんか違う」雰囲気になるわけです。

もう一つ、自分ではバレていないと思いつつバレバレだったり、バレバレな注目を違う注目と勘違いというのは
「イタい」レベルでのドレスコードの逸脱ですね。

基本的な性別のドレスコードのはみ出しに加えて、TPOのドレスコードの違和、そしてドレスコードの自覚のズレ
男丸出しで勘違いしている女装は3重にドレスコードを逸脱している。
私が感じた「なんかやだな」というのは、この何重にも踏み間違えている感じなのだと思い至りました。

そしてこれに更に美醜の問題が乗ると思います。女性らしい服装が似合っているか否か。
女性の服は当然ですが女性の身体の美しさを強調するようにできています。その身体を持っていない男が着ると美しさに繋がらない場合があるわけで、その場合、逆に醜悪に見えてしまいます。
控えめにかなり女性らしく女装していても嫌悪感までは行きませんがちょっと違和感がある感じ、でしょうか。

もちろんこれらは、どこから見ても綺麗な女性とか男性とわかっていてもうっとりするほど美しいならこれらの過激さは牙をむかずにむしろ人を魅了するでしょう。その振れが大きくなるのが女装の恐い所なのだとわかりました。
自分の部屋だけで、見たい人にだけ見せるブログ女装と外出女装とは、秩序としてのドレスコードから見ると根本的に大きな違いがあるのですね。

ドレスコードは時代とともに変わるもの。女装自体珍しいものでなくなるかもしれません。またドレスコードからの逸脱こそ表現や創造性の源であることも確かです。ですから、あえてそれを実行するというのも一つの進み方ではありますね。

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テーマ : 女装 - ジャンル : サブカル

コメント

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美人ですね!

うっかり更新を見逃していました。キャミの美人さん、いいじゃないですか?
フェミニンな魅力が出ています。とってもきれいですよ。・・・(^^)
某女装子の投稿掲示板ではあまりにも痛すぎるレベルの方が平然と投稿して
ますが、これも勘違いしている女装ですね。自分でわかっていないところが
怖いです。私も勘違い女装にならないように気を付けますね。・・・(^^;)

No title

みき様
ありがとうございます。肩幅あるし、キャミは気恥ずかしい感じ。でも女性らしさはでますね。

No title

A様
コメントありがとうございます。私服と制服の狭間から逃れるのは難しいことですが、そこに意図的に挑むはいうのは一つの選択です。男らしさ、女らしさを意識化してそこに挑む、あるいはボーダーレス化するというのも挑戦であり、私も裏テーマのように意図しているものです。
確かに、男女らしさも、女装、男装も二元化し固形化しますからね。
ヌードは実は撮影はしていて、ま、みるに耐えるかという問題ですが、もしかしたら公開するかも。

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